【背徳の森】3


「痛ッ…」

身を起こそうとした遊戯は、ズキン、とした鈍い痛みに顔を歪めた。

引かれた手を唐突に放された彼は、受身を取ることに失敗し、左肩を強打したのだ。

(くっ…相棒の、身体なのに…)

肩を押さえ、床に転がったまま、遊戯は唇をきゅっと噛む。

木製の床を軋ませ、彼の顔を覗き込んだバクラは、「大丈夫かァ?」と声を掛けた。

彼をここに引き倒した張本人の口ぶりは、心配を装ってはいるが、実に愉しげだ。

遊戯は忌々しげに、キッと彼を睨み付けた。

「白々しいぜ…っ」

「ふふっ、そうかよ。じゃあご期待に応えてオレ様らしくいこうか?」

言うなりバクラは肩を庇う遊戯の手を外し、打ちつけたそこを踏み付けた。

「ぐっ!」

最初は爪先、そして徐々に体重を掛け、踵で踏み躙る。

剥き出しのそこが痛ましげに凹んだ。

「っぁあああ!」

「王サマさぁ、もうちょい肉付けたほうがいいんじゃねぇ?」

ぐりぐりと踏みつける肩は薄すぎて、ゴツリとした骨の感触までダイレクトに伝わるようだ。

簡単に折れてしまいそうなそれは酷く加虐心を煽ったが、今ここで圧し折ってしまうのは本意ではない。

末永くこの関係を維持するためにも、彼の相棒に誤魔化せないような怪我は禁物だ。

バクラは自分を阻止しようとする小さな手を見やってから、そっと足を外し、しゃがみこんで彼を抱き起こした。

暴力を恐れる身体が強張って揺れるのを口元だけで笑い、先ほどまで踏みつけていた細い肩を労わるように撫でてやる。

「…バクラ?」

困惑の色を宿す赤い瞳と目が合ったのを確認し、「痛かったな。悪ィ」とバクラは謝った。

「いっ、今更何言ってるんだ!こんな…相棒にどう…」

「悪かったって」

「っ!」

撫でていた肩に唇を押し付けられ、遊戯は大きく跳ねた。

「な、な、何してるっ」

「消毒」

ねっとりとした舌に舐められ、遊戯はより身を固くした。

ゾクゾクとした得体の知れないものが背中から上がってくるのを感じ、酷く落ち着かない。

「もういいっ」

遊戯は自由な右手でバクラの肩を押しやった。

しかし、肩口から唇が離れたのも束の間、その手首はバクラの左手にかっちりと掴まれてしまい、何の妨げにもならなかった。

「やめ…っ」

「やめたら許してくれんの?」

「許すから!」

「…これからオレ様とする“楽しいコト”も?」

「え?」

遊戯は思わず顔をあげた。

不安げに小さく開かれた無防備な唇にバクラは軽く口付ける。

「ンっ!?」

「こういうことも、許してくれる?」

「お前…」

読めない行動に、遊戯はバクラのアメジストの瞳を見つめた。

この状況下における“楽しいコト”が分からないほど鈍くは無いが、その対象が自分というのが分からない。

口付けにしてもSEXにしても元来異性とするものだと遊戯は認識していたし、仮に例外があったとしても、嬉々として遊戯の肩を踏み付けていたバクラが彼を好いているはずないのだ。

「…何を考えてる?」

疑り深く問いかけてみるが、底の見えない瞳は昏い光を宿すだけで何の感情も悟らせない。

「からかってるんじゃないぜ?好きなんだ、王サマ」

「狂言だな。それに、オレは好きじゃない」

「王サマこそ嘘言うなよ。好きでもないヤツと夜中にデートしちまうなんて、それこそ可笑しな話だろ?」

「ッ!」

痛いところを突かれた自覚が遊戯にはあった。

自身の発言どおり、遊戯はバクラを好いていなかったが、それでも敵であるバクラに呼び出されて応じているのは紛れも無い事実だ。

信頼も何もあったものではなかったが、孤独を共有できるのも、曖昧な自身を受け入れてくれるのも彼だけだと、心の何処かで拠り所にしていた。

罪悪感を持ちながらも、バクラを否定できない自分が彼を嫌っている、という方が不自然な話だ。

「なあ、好きって言ってみなよ」

「ふ、ざけるな…」

「オレ様はアンタを愛してるぜ。他の誰でもない、アンタだけだ」

耳元で甘く囁きながら、バクラは小さな耳の中に舌を進入させる。

その熱さに身体の芯がピリッと痺れた。

「ぁ…調子に乗るな…そんなの、誰が信じると…」

何とか流されまいと否定を紡ぎ立ててみるものの、その声は消えそうに頼りなく、潤んで揺れる瞳は陥落しかけのそれだった。

触覚的な誘惑にでなく、バクラの囁く言葉こそが彼を大きく揺さぶっていた。

 

オレだけを見てほしい。

相棒を通してでなく、オレがここにいることを認めてほしい。

 

ずっと必要とされたかった彼には、自分のみを見つめてくれるバクラが、何だかこの時、酷く大切な存在に思えたのだ。

 

「王サマ」

 

その思考を後押しするように、自分を限定する呼びかけが聞こえる。

それは耳に心地よく浸透し、目の奥を熱くした。

だから。

 

「バクラー…」

 

言ってはならない言葉を彼は口にした。

それは熱に浮かされたうわ言のようにキレイな嘘で固められていて、誰に対しても等しく裏切りだった。

それでも、知ってか知らずかバクラは優しく微笑んだ。

最初とは打って変わってゆっくりと、丁寧に、彼を床に押し倒す。

薄明かりの下、抱き合うように二つの影が重なった。

 

警告音は、もう聞こえない。