2012/5/9

新しい家族

4月9日、家に新しいスピッツがやってきました。名前はポポ。生後2ヶ月半のかなりやんちゃな可愛い子です。
この子に至るまでには里親募集サイトを巡回したり、返事が来ずに凹んだり、既に先約有りだったり・・・とにかく紆余曲折を経ました。最終的に茨城のペットショップへ父と赴き、今に至ります。
ポロの死から一ヶ月に満たないお迎え・・・薄情と思われる方もいるでしょうし、少なくとも一年はポロの死を悼むべきと母からも非難されました。
「もし次があれば、なんてどうしようもないことを考えて、同じじゃないのは知ってるのに、同じ顔の子を見つけて同じ名前付けようと躍起になってるのは、あの子にしてやれなかったことを全部してあげることで自分が楽になりたくて仕方ないんだろうな」
―――別ブログで零した言葉ですが、自身の気持ちを満たしたいがための勝手さ、今満たされつつある日常を感じているからこそ、重々承知しています。
それでも、後悔はしていません。忘れない、繰り返さないために、私はすぐにでも行動したかったし、それができるのはあの時をおいて他になかったと思っています。
「ポポ」、この名前は同じにするのはさすがにどうかということで、「ポロ」のニュアンスに近付けてつけたもので、顔もポロの幼い頃の写真を見ながら近い子を探しました。そのせいか、ポロの記憶は決して風化することなく、むしろ鮮やかです。ポロが幼い頃を幼少の私は殆ど覚えていませんが、こんな風だったのかな、とポポと触れ合いながら、少し切なくなります。
いつかポロと同じくらいこの子を大好きになりたい。
いっぱい長生きできるよう、大切に育てていきたいです。

【RES】
2012年4月8日
■pinさん
遅くなってすみません、温かいメッセージありがとうございましたv
ポロはとても良い子なので、きっと天国で幸せに遊びながら待っていてくれると私も思っています。

2012/3/31

忘れない、繰り返さないために
サイトを作ろう、と思ったのは、可愛いあの子がいなくなって数日後。あの子は日本スピッツにしては大きめで体長50cm以上ある誰にでも友好的な男の子でした。
あの子が元気な頃、私はろくに散歩に行ってあげず、自分のことでいっぱいいっぱいでした。行きたくて行きたくて脱走したあの子を自分の行動も顧みず叱ったこともあります。傍にいるのが当たり前すぎて、ずっと傍にいられないこと、私より早く逝ってしまうこと、犬の幸せをすっかり失念していました。
気づいたときには、もうあの子は大好きな散歩がまともにできないほど老いていました。それでも名前を呼んで手を広げると、フラつきながらも寄ってきてくれました。
犬が老いるスピードは速い、よく耳にする話ですが、本当にそのとおりで・・・。あの子が階段の上り降りができなくなり、支えなしに歩けなくなり、ついには寝たきりになるまでそう時間は掛かりませんでした。歩くのが大好きなあの子はいつも悲しい目をしていました。食欲旺盛なのが唯一の救いで、お菓子をたくさんあげました。もうずいぶん密度の薄くなったもふもふの頭を撫でました。
時間問わず鳴かれる日々はキツく、介護を面倒に感じたこと、トイレシートの上への移動を足でしようとして、途中で悪いことをしたと謝ったこと、晩年ですら失態はあります。それでも、今までで一番あの子と密接な時間を過ごした、構ってあげられたと思える時間でした。
そんな日々を繰り返し迎えたいつもと変わらない日曜の昼、事態は急変しました。いつも食べている決して大きくない林檎の欠片があの子の喉に引っ掛かりました。大半は吐き出したけれど、一時は安心したけれど、咽る声は続く。動物病院には繋がらない。対処法の分からないまま家族全員で背を叩いたり摩ったり、口を開かせ欠片を除こうとしたけれど、あの子はぐったりし、動かなくなりました。
こんなはずがない、病気一つしたことのないこの子は、朝起きたら静かに息を引き取っている、そんな老衰に決まっている。
ずっとそう信じていたし、そうであってほしいと願っていました。だから、息をしていないことに気づいていながら、誰も手を止めようとしませんでした。けれど、どんなに頑張ってもあの子はもう動きませんでした。パパが静かにあの子の目を伏せました。・・・・・・あまりにもあっけない最期でした。
苦しんでいたあの子は、まるでそんなことなかったみたいに、楽しい夢でも見ているみたいに、ただ眠っているだけのように見えました。それでも血の通らない身体はみるみるうちに冷たくなる。触れた弟が氷のようと驚いていましたが、あの子の温もりを思い出すほど怖くて、その時の私には触れることができませんでした。ペットの葬儀屋に連絡し、明日この子がいなくなってしまうと自覚してからようやく触れたその身体はやはり冷たく、けれどもふもふの毛のおかげか想像ほどではありませんでした。それでも、死を実感するに充分な温度は涙をやまなくしました。死んだ生き物に触れたのは、これが初めてでした。
お葬式は個別火葬で行いました。花で囲い、あの子の好きなお菓子を並べました。何度も撫でました。姿だけ見れば、やはり眠っているだけのように見えました。涙が止まりませんでした。
数時間後、納骨のため、火葬場に戻りました。真っ白でふわふわのあの子はもうおらず、白い骨だけがありました。涙は出ませんでした。私にはこの白い骨をあの子と結びつけるだけの実感と勇気がなかったのです。
そうして今ー・・・徐々に実感は増し、繰り返す日常の中でがらんと空いた玄関を見るたび胸が痛みます。あの子に似た子を探して、あの子の写真を集めて、懐古しながら自分を慰めています。このHPは私があの子と過ごして得たたくさんの幸せを忘れないため、大きすぎる後悔を繰り返さないためのものです。
お題配布についても、創作活動にやる気を無くした抜け殻みたいな自分を奮い立たせるためのトライで、そのついでにうちの子も見て頂けたら・・・な気持ちでいます。
本当にどうしようもない自己満足そのものですが、閲覧者さまの琴線に触れられるものがあることを願っています。